金のろうそく〜神戸〜
「行ってきます」
返ってくる言葉もない。
結婚して10年か、CMでスゥィートテンダイヤモンドとか言っているが、そんな気もわき上がってこない。妻の京子は子供が大きくなるにつれて、塾だのスイミングだのと事あるごとに習い事をさせたがる。子供はというと、ガミガミ言われるのが嫌で習い事に行く。夫婦の会話は毎日その話題の繰り返し…。新婚当初の「淳、今日は何時に帰る?」なんて言葉はどこへいったのやら。
会話も減るはずだ。あいかわらず今日も朝から愚痴っぽい。「男は仕事して当然!」か・・妻の口癖が重荷に感じてならない。電車に揺られながら毎日変わらない景色にも少々うんざりしながら元町駅で降りた。
会社に着くと「小田島くんおはよう!」元気な声が飛んでくる。経理部の同期でいまだ独身の宮下那津子は毎朝元気がいい。「ああ、おはよう」形だけの挨拶をして通り過ぎると後ろから「ちょっと、今日仕事終わったらあいてる?」と追いかけてきた。やれやれまたか、お得意の飲み会のお誘いらしい・・「今日は・・」ダメと言おうとして、たまにはいいか「あいてるよ。」と答えると、少し驚いた感じで「じゃあ18時にうたげ屋で」と早口で言って通り過ぎていった。やれやれまた安い居酒屋か、たまには違うところにしろよな。
デスクに戻ると同僚の川部がにやにやしながら「不倫はあかんよ〜」と一言。「そんなんじゃないよ」と言ってもまだにやにや・・。
「どうせおまえも誘われたんやろ」と言い返すと「今日はなかったぞ」「ふられたんやきっと」と笑いながら言い返し、なにかあるのかなとふと思った。川部と那津子とは地元で同期ということもあり、入社当時からの飲み仲間だ。妻もこの三人で飲むことには何も言わない。とりあえず妻に遅くなるとメールして外回りに出た。
夏も終わりだというのに神戸の街は相変わらず蒸し暑い。観光客が多いのはいいのだがこう多いと仕事している自分が哀れに思えてくる。大体この不景気にいくら多機能だと言っても事務用の複合コピー機がそうそう売れるわけがない。上司は「本体が売れなくても消耗品がある」なんて言ってるがそれも今や量販店で安価に手に入る。「40過ぎて再就職か」半ば開き直りでセールスに向かう。
いつも気が乗らないが、今日はいつも以上に足取りは重い。「ちょっと違う所にでも行ってみるか」と思った瞬間足は二宮の方へ向いた。昔は栄えていたのだろうが、今は客もまばらな商店街。ついてすぐに敗北宣言、それでも飛び込みで数社ほど回ったが、どこもかしこも財政難らしく「パンフレットおいといて」の一言ですまされてしまう。時計を見るとすでに16時を回っていた。「明日があるさ」と空元気をふりしぼり会社へ向かう。
社に戻ると雰囲気が暗い。「おいおい、この調子じゃ全滅か」さっさと営業報告を書いてしまおう。少しおくれて川部が隣に戻る。「おい、売れたか?」首を横に振って答えると「そやろな、俺もあかんかったわ」つぶやいた。「営業報告書くのも嫌になる、おまえ早いね〜」「こんな日は、はよ帰るのがいちばんや」「今日も・・とちゃうか」「はよしな後になったら小言も多なるやろ」「なるほど!」川部もペンを手に取った。部内で一番に営業報告を出し、後ろから聞こえる上司の嫌みをあとに社を出る。「川部のヤツもたついてたな」どうせあの店って分かってるから後で来るやろ。頭を抱えて営業報告を書いている同僚を少し可哀想に思いながらうたげ屋に向かう。
店内は相変わらず繁盛している。ここに来る度に「不景気とは縁がないのか?」と不思議に思うくらいだ。まあ安くてうまい、サラリーマンにはもってこいのお店には違いない。
脱サラしてお店をやろうかと考えた事もあったが、妻の不機嫌な顔が頭によぎり「あいつがパートナーじゃ繁盛しないわな・・」とあきらめた。
「いらっしゃい!奥でお待ちですよ」
すっかり常連扱いだが、悪い気はしない。「ありがとう」と返事をして那津子のいるテーブルへ向かう。
「時間ピッタリ!」笑いながら
「ビール頼んだから」
相変わらずよく気が回る。
「さすが、なっちゃん。気が利くね〜」それでどうしていい人いないのと言いそうになってやめた。川部がいるなら冗談交じりに言えるのだが、さすがに二人きりだと遠慮せざるをえない。
「かんぱーい!」
とりあえずビールを喉に流し込み、つまみをたのむ。まあいつものメニューになるのだがそれもまた楽しい。
「今日はどうした?急に飲みのお誘いで」
「私の誘いじゃあかん?」
「あかんことはないけど、いつもは川部も一緒やろ」
「たまにはええやん」
こりゃなんかある。
「ええけど、なんかあったんか?話なら聞きまっせ!」
「あはは、そういうところが小田島くんらしい。」
「なんやそれ、どういう意味やねん。今日はやっぱりおかしいで」
「私もたまには飲んでみたいんよ」
「しょっちゅう飲んでるやん」
「なあ、今日だけ彼氏でいてくれへん?」
一瞬ポカンとなった。断るとつぶれそうな彼女の瞳があった。
「よっしゃ分かった。」
よく見ると、年の割には若く見える。そういえば入社したての頃には周りの男からのあこがれの声もあったな。一人懐かしがっていると・・・
「何考えとんの?どうせ入社したての頃を思い出しとんでしょう」
こいつには嘘はつけない・・自分もその周りの男の一人だったと・・
「ビールおかわり!二つね!」
「ごまかしたな」
「え?なにが?」
2本目のビールを飲みながら、仕事のことや家のことを語り合った。
「私ね、小田島くんのことが好きやったんよ」
「え?」
「会社入ってすぐに・・一目惚れってやつ」
「そんなんはよ言ってくれな〜」
冗談っぽく言うと
「告白してたらつきあってくれたん?」
「そりゃその時によりけりやけど」
男はこういうときにはだらしがない。
「でも、毎日顔見れるから・・こうしてたまに飲みにもいけるし。でも結婚したときはさすがに落ち込んだんよ」
「ごめん・・」
本当にだらしがない。
「なんであやまるん。あかんやん期待してしまうやん。」
少し潤んだ目で見つめられて、ふと今の生活が頭の中をよぎった。目のやり場に困って、
「ほら冷めるで、好きやろこのとろろ焼き。食べよ食べよ」
「ずるいんやから・・」
「俺はなっちゃんのおいしそうに食べるとこ、朝いっつも元気におはようって言ってくれること、大好きやで。ほら冷めるから・・」
少しの間二人は無口になった。
「ねえ、あのろうそく覚えてる?」
入社して間もない頃、川部と三人でそれぞれの誕生日会をしたときに自分が彼女にあげたものだ。
「覚えてるよ」
「私、まだ持ってんねん」
たしか、元町の古ぼけた骨董品屋の片隅にあった金色のろうそくで値札の横に願いが叶うと書いてあった。
「家に帰ったら灯をともす・・」
そういって彼女は微笑んだ。
「二人で灯そう・・」
店を出た二人の影は、いつしか一つにかさなった。
